
「標準労務費という言葉は聞くが、自社の見積りをどう変えればいいのか分からない」
「労務費の基準ができたと言われても、結局は元請の値決め次第ではないのか」
改正建設業法の全面施行を受けて、このような疑問をお持ちの経営者様や人事担当者様は非常に多くいらっしゃいます。建設業では長らく、労務費が値引きの調整弁として扱われ、そのしわ寄せが現場の技能者の賃金に及んできました。人手不足が深刻化しても賃金が上がりにくかった構造的な理由がここにあります。
改正建設業法の全面施行で何が変わったのか

まずは制度の枠組みから確認します。今回の改正は、担い手の確保を目的とした一連の法改正の第三弾として位置づけられているものです。
令和7年12月に全面施行された改正建設業法
根拠となるのは「建設業法及び公共工事の入札及び契約の適正化の促進に関する法律の一部を改正する法律」(令和6年法律第49号)です。段階的に施行されてきましたが、令和7年12月12日に全面施行を迎え、労務費に関する規定も動き出しました。
この改正は「第三次・担い手3法」と呼ばれています。処遇改善、働き方改革、生産性向上という3つの柱で構成されており、労務費の確保はその中でも処遇改善の中核をなす施策です。
背景にあるのは、担い手の高齢化と若手の入職減です。国土交通省の資料では、建設業就業者に占める55歳以上の割合は36.7%と全産業の32.4%を上回り、29歳以下は11.7%と全産業の16.9%を下回っています。このまま推移すれば、10年後に現場を回せる人がいなくなるという危機感が、法改正の出発点になっています。
「労務費に関する基準」の勧告と基準値
改正法に基づき、中央建設業審議会が令和7年12月2日に「労務費に関する基準」を作成し、勧告を行いました。国土交通省はこれを踏まえた運用方針を公表しており、あわせて職種分野ごとの労務費の基準値が順次示されています。基準値の第一弾は14の職種分野が対象とされました。
基準値は、標準的な工事において必要となる労務費の目安を示すものです。国土交通省の運用方針は令和7年12月に作成され、その後も改正が重ねられています。自社の職種の基準値がどう示されているかは、ポータルサイトで確認できるようになっていますので、まずは一度目を通しておくことをおすすめします。
基準値が示されていない職種であっても、基準の基本的な考え方に沿って適正な労務費を確保する必要性に変わりはない、という整理がなされています。「自社の職種は対象外だから関係ない」とは言えない点に注意が必要です。
公共・民間、元請・下請を問わず適用される
国土交通省が示す運用方針では、この基準は公共工事か民間工事かにかかわらず、下請取引を含むすべての段階の請負契約に適用されるという考え方が示されています。元請から一次下請、一次から二次へと続く各段階の取引が対象になるということです。
- ✓公共工事だけでなく民間工事も対象
- ✓元請・下請を問わず、各段階の請負契約に適用
- ✓基準値が示されていない職種も基本的な考え方は同じ
- ✓建設業許可が不要な規模の業者には直接適用されない規制がある点は要確認
「著しく低い労務費」の禁止とは何を指すのか

今回の改正で最も実務に効くのが、労務費を著しく低く見積もること自体を禁じた規定です。受注する側と発注する側の双方にルールが置かれている点が特徴です。
受注者側のルール|見積書の作成・提出
国土交通省の運用方針によれば、建設業法第20条第2項において著しく低い労務費等による見積りが禁止されています。つまり、受注を取りたいがために労務費を削った見積書を作成・提出すること自体が、法律上望ましくない行為として位置づけられたということです。
これまでは「安く出すのは自社の判断」で済んでいた部分に、法的な線が引かれた形になります。価格競争の土俵から労務費が外されたと理解しておくのが安全です。
注文者側のルール|見積り変更の依頼と原価割れ契約
発注する側にもルールがあります。運用方針では、建設業法第20条第6項として、注文者が通常必要と認められる労務費等の額を著しく下回るような見積りの変更を依頼することが禁じられていると整理されています。
あわせて、従来から定められている第19条の3の不当に低い請負代金の禁止、いわゆる原価割れ契約の禁止も引き続き処分の対象です。「もう少し下げてくれないか」という一言が違反になり得るという点は、営業担当者にも共有しておく必要があります。
違反した場合に想定される措置
運用方針では、受注者側の違反については建設業法第28条に基づく指導・監督の対象となり、発注者側の違反については勧告や公表の対象となり得ると整理されています。
- !労務費を明示せず、一式で大幅に値引いた見積書を提出する
- !注文者から労務費の切り下げを前提とした見積り再提出を求められ、応じてしまう
- !原価を下回ることが明らかな金額で下請契約を締結する
- !労務費を確保した見積りを出した業者を、価格のみを理由に一律に外す
罰則の有無や具体的な運用は今後の運用実績によって明確になっていく部分もあります。現時点では、公表や指導の対象になり得る行為であると理解し、社内の見積りルールを整えておくのが安全です。
実務としては、見積り担当者と営業担当者の双方に、労務費は交渉の対象外であるという方針を明確に伝えることが第一歩になります。担当者個人の判断で値引きが行われる状態を放置すると、会社としての違反リスクを担当者に背負わせることになりかねません。
標準労務費が採用にもたらすインパクト

ここからは経営と採用の話です。労務費が守られるということは、賃金の原資が守られるということにほかなりません。人材獲得の競争条件が変わります。
賃金原資が守られると採用条件が変わる
これまで、賃上げをしたくても「その分を請負代金に転嫁できない」という壁がありました。労務費が値引きの対象から外れれば、賃上げの原資を見積りの中で正面から主張できるようになります。
特に若手の入職においては、初任給の水準が他業界との比較対象になります。製造業やサービス業の求人と並べて見られる以上、業界内での比較だけでは勝負にならないという現実があります。労務費が守られることは、他業界との賃金競争に参加できるようになるという意味を持ちます。
CCUSの能力評価と賃金テーブルをつなぐ
労務費の基準は、職種ごとの標準的な水準を示すものです。これを自社の賃金に落とし込むときに役立つのが、建設キャリアアップシステムの能力評価です。レベルに応じた手当を設計しておけば、基準に見合った賃金を支払っている根拠を対外的にも社内的にも説明できます。
能力評価のレベルは、就業日数や保有資格、職長経験などをもとに判定される仕組みです。社内の経験年数だけで賃金を決めていると、転職してきた技能者の実力を正しく評価できません。客観的な物差しを社外に持つことは、中途採用の場面でも大きな武器になります。

「安値受注」に頼る会社は選ばれなくなる
価格だけで勝負してきた会社にとっては、今回の改正は逆風になり得ます。労務費を削れないのであれば、差がつくのは施工力と生産性です。
工期を守り、手戻りを出さず、安全に納める。この当たり前を高い水準で実現できる会社に、仕事も人も集まる構造へと変わっていきます。ICT施工や施工管理アプリの導入といった生産性への投資が、これまで以上に経営判断として重みを増すことになります。
求職者の側から見ても、この変化は分かりやすいシグナルになります。労務費を明示した見積りを出せる会社は、賃金を説明できる会社です。転職を考えている技能者や施工管理の方は、面接の場で「労務費の内訳は見積書に分けて記載していますか」と聞いてみると、その会社の姿勢が見えてきます。
経営者・人事担当者が今から準備すべきこと

最後に、実務として何から手をつければよいのかを整理します。特別なシステムを入れなくても、今日から着手できることがあります。
見積書の内訳で労務費を分離する
まず取り組むべきは、見積書の様式の見直しです。一式計上をやめ、労務費と材料費・経費を分けて記載するだけで、値引き交渉の際に何を守るべきかが社内でも取引先でも明確になります。
- ✓労務費を独立した項目として記載する
- ✓職種ごとの人工数と単価の根拠を残す
- ✓安全衛生経費を労務費とあわせて明示する
- ✓値引きに応じる場合、労務費以外のどこで調整したかを記録する
あわせて、見積根拠を残す習慣も重要です。後日、発注者から金額の妥当性を問われた際に、職種別の人工数と単価を示せる資料があるかどうかで、交渉の説得力がまったく変わってきます。
賃金テーブルと昇給基準を明文化する
労務費を確保しても、それが技能者の手取りに届かなければ意味がありません。等級ごとの賃金レンジと、どうすれば上がるのかという昇給の基準を文書にしておくことが必要です。
昇給基準を作る際は、完璧を目指さないことがコツです。まずは等級を3〜4段階に分け、それぞれに求める技能と金額の幅を決めるところから始めれば十分に機能します。運用しながら毎年見直していく前提で、まずは形にすることを優先してください。
求職者への伝え方を設計する
制度対応を採用に結びつけるには、伝え方の設計が欠かせません。「法改正に対応しています」と書いても求職者には響きませんが、「労務費を見積りで分けて確保しているので、賃上げの原資があります」と言い換えれば意味が伝わります。
- ✓労務費を見積書で分離して確保している姿勢
- ✓等級ごとの賃金レンジと昇給の基準
- ✓CCUSの能力評価レベルと連動した手当の有無
- ✓資格取得支援の内容と、取得後にいくら上がるのか
- ✓過去3年の昇給実績
求職者の側も、この観点で企業を見ていただくと選択の精度が上がります。数字と仕組みで説明できる会社を選ぶことが、長く働ける職場に出会う近道です。
まとめ
令和7年12月12日に全面施行された改正建設業法により、労務費は「削ってはいけない費用」として明確に位置づけられました。中央建設業審議会が勧告した労務費に関する基準は、公共・民間を問わず、下請取引を含む各段階の請負契約に及びます。著しく低い労務費による見積りは受注者側でも禁じられ、注文者による切り下げ依頼も認められません。
この変化は、賃金を上げたくても上げられなかった企業にとって追い風です。見積書で労務費を分離し、賃金テーブルと昇給基準を明文化する。この2つを進めるだけで、法改正への対応と採用力の強化を同時に実現できます。制度が変わった今こそ、処遇を見直す好機だと捉えていただければと思います。
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